引越し荷物 <上> 2002 5/18 某紙掲載
東京の電話帳が必要だ.
トラックで引っ越し荷物を送り出して、
わたしたちは「出雲号」という東京発の寝台夜行列車に乗った。
七月下旬の暑い盛りで、友人の家でシャワーを使わせてもらい、夕方の発車だった。
東京を引き払うという特別な感傷があったかどうか疑わしい。
それよりも、家族みんなで乗る夜行列車のワクワクした気分が勝っていた。
お兄ちゃんが飼っていた二匹のカメも連れてきたが、一匹いなくなった。
朝支度の列車の中で「すみません」と捜し回っていると、端のブースから
「ここにいるよ」という大きな声が上がり、あちこちから笑い声がした。
列車内の人たちの柔らかな空気に触れて、
本当の引越し気分を感じ始めたのは、そのあたりからだった。
出雲号は朝になって山陰の各市に停車する。
東京まで迎えにきた主人は、出雲空港に車を置いていた。
そこから○○村に向かえば、引越しトラックと同じ昼過ぎに着く算段だった。
途中の松江市で、早朝のたった三分の停車時間の間に、
生まれたての子犬が娘のY子に手渡された。
子犬は前々日、松江市に住む妹の勤め先の前に捨てられていた。
妹は引っ越してくるY子に預けようと思ったのだ。
田舎に行ったら犬を飼ってあげるという約束で、
Y子は東京のお友達との別れを承知した。
しばらくの間、大人たちは引越し騒ぎに追われたが、
ふと気付くとY子はいつも荷物の隅で
大事そうに子犬が入ったかごを抱えて座っていた。
その姿を見て、ホッとした。
Y子の胸の中は、まだ目も開かぬ子犬のことでいっぱいだったのだ。
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主人はギターとレコードを私が処分したのをしばらく嘆いていた。
この際、どんどん処分しろと言ったのは主人だが、
うっかり私も主人に聞かずに片付けた。
「あなたは肝心なところが抜けている。あれは絶対に必要な物でしょう」
次に主人に力を込めてこう言わせたのは、東京の職業別電話帳である。
Y子の大事なぬいぐるみまで内緒でこっそり処分したのに、
誰があのかさ張る東京の電話帳まで島根に持っていくなんて考えるだろう。
しかし、実際に困ったのだ。
主人は仕事上、結構探し物や調べ物があった。
取っ掛かりは、取りあえず東京へ電話をかけることだった。
親しい友人に度々、探し物をさせていたら、ある日前触れなしに、
東京の職業別電話帳一式と一ヶ月分の新聞折込チラシが送られてきた。
今ではインターネットでいかようにもなるが、引越し当時の東京の職業別電話帳は、
田舎の不自由さに戸惑っていた私たちの「希望の星」だったのである。