I ターン日記(20)

山の中のテニスコート <中>  2002 11/2 某紙掲載

ギャラリーがいなくて・・

**村と**町、**町にまたがる○○ダムのダム湖に沿って、

車をめったに見かけないドライブにはもってこいの道が走っている。

渓谷を流れる川沿いに○○○公園はあって、村の家から三十分とかからなかった。

公園入り口の立派な駐車場に入った時には、みんな予想を裏切られた。

 

車は一台も止まっていなかったので、なんだか釈然としないものはあったが、

「すげえーっ、クレーコートだ!」。

公園の一角にテニスコートを見つけた男の子は叫んだ。

後に続いた私たちも非常に新鮮な喜びを味わった。

しんとした山の中の、人っ子一人見かけない公園に、

フェンスと壁打ち用の壁に囲まれて、

きちんとネットの張られた立派なクレーコートが二面あったのだ。

 

「これ、タダでしょ。それでしたい放題なわけ?」

街の中やキャンプ場で予約状況やお金と相談しながら

コート探しをしなければならない男の子たちは単純にはしゃいだ。

 

公園内にはキャンプサイトもあった。

ベンチに寝っ転がって私は本を開いた。

周囲は全て山の中である。

山脈の中にいるんだという、妙な感動があった。

離れたコートで上がる声と

ラケットを振る息遣いも山にこだまして吸い込まれていく。

時折、鳥の声が聞こえるばかりだ。

 

男の子たちは夕方の川で水浴びをして汗を流した。

この間、公園には身回りらしき人がやってきて、

ゴミ箱や植木の世話をしていたばかりである。

他に人の気配はしなかった。

 

  ***** ***** *****

 

さて男の子たちはサッカーもして卓球もして、

三日目の夜には**市のカラオケ屋に出かけて行った。

やはりコンビニとCD屋と、あとカラオケ屋がないと若者は時間が過ごせない。

ではそれでいいのかというと、まだ足りない。

このひとつこそが案外決定的だという気がしないでもない。

 

つまり、ここではギャラリーの気配がしないのだ。

畑仕事や草刈りに人の気配は必要ないが、

若者は人に見られることも意識してスポーツもするのだろう。

誰も見ていない所で鍛錬するのは仙人と、選ばれた人たち。

 

宮本輝の「青が散る」の主人公は、

向こうの建物では女の子も授業を受けている前提があって、

ひとり黙々とテニスコートを整備したのだ。

ゲートボール場になった**村のテニスコート

もう二度と整備されないのである。

 

Iターン日記 (19)

山の中のテニスコート <上>  2002 10/26 某紙掲載

使用料は「いりません」

「徒歩十分の圏内に、野球場にフットサルコート、

テニスコート、体育館まであるんだから。

これであとコンビニとCD 屋があれば完璧だね。

文句なしに一ヶ月は遊べるな」

大学生になったばかりの夏休み、我が家のお兄ちゃんは返ってきてこう言った。

 

彼は中学三年生の二、三学期だけしかこの村で過ごしていないので、

村への感想もどこか人ごとめいている。

飛行場へ迎えに行った車の中で、

「田舎って暇だから何して過ごすかなあ」

とお気楽に言ったものだから、早速、妹のY子の攻撃を受けた。

「お兄ちゃん、何を言ってンの。

草取りだって、畑だって、犬の散歩だって、することいっぱいあるんだからね。

田舎をナメんなよ!」

 

  ***** ***** *****

 

来た当初、歩いてすぐの所にある野球場も子犬を遊ばせるのに嬉しかったが、

その隣に誰も使ってなさそうなテニスコートが一面あるのを見て

「整備してたまには二人でテニスをしよう」と主人と話したものだ。

そのうち春夏の草取りと行事ともろもろに追われて、

テニスをしようという意欲はわかなかった。

 

夏休み、お兄ちゃんの友人が三人来ることになって、

高校のテニス部の仲間だったから、

ネットの所在を尋ねに村の教育委員会に電話をかけた。

「ありゃあハー、ゲートボールで使っとるケエ。

初めのころはテニスをするモンもおったが、

そのうち誰もせんようになったケエなあ。

**さん、テニスがしたいンか」

「息子がテニスコートがあるって言ったから、

友達がラケットを抱えてやって来るんです。」

「そりゃあかわいそうになあ。

そんなら**ダムの***公園へ連れて行ってやりんさい。

あそこなら二面あるケエ」

 

教育委員会の次長さんはなかなかの美男子で、

私と話すときは完全な石見弁だ。

念のためコートの持ち主である隣の**町役場へ電話をかけた。

「いつでも使っていいですよ」

「使用量は?」

「要りませんよ」

「直接行って、勝手にテニスをしてもいいんですね」

というようなやり取りだった。「勝手に」というのもおかしな聞き方だが、

結局「勝手に」やってもいいということだった。

 

インフォメーションのあまりのあっけなさに

「草ぼうぼうに石ころだらけっていうんじゃないだろうね」

と、やっぱり田舎をよく知らないお兄ちゃんは懸念して、

気合いの入らなさそうな男の子四人を連れて出かけた。

Iターン日記 (18)

ヘビの数 <下>   2002 10/19 某紙掲載

必要な「共存共栄の志」

さすがに田舎暮らし七年目ともなると、ヘビを見たぐらいでは騒がない。

春が巡ってヘビの初お目見えとなると、

それが季節感の感慨になるのだから、人は五感で環境に反応する。

一昨年、ウグイスの初音は三月六日、ヘビはちょうど一ヶ月後の四月六日に見た。

これが**村の我が家周辺の、私の感覚暦。

 

今年はウグイスが二月半ばに鳴いたから、異変の前ぶりだったのかもしれない。

これだけは勘弁してほしいと思う例のものが、

梅雨入り早々に最初の目撃をしてから、立て続けに現れたのである。

一ヶ月ほどは夜もおちおち寝ていられない感じになった。

 

初めは枕を抱えて寝る場所を移動したりもしたが、

どの部屋も安全ではということを思い知ってからは、

三種類の殺虫剤を駆使し、物入れの全てを大掃除した。

解決の根拠はなかったけれど、気休めにはなった。

 

村の中学校では毎年、蛍の時期に調査をしている。

Y子と出かけた私は、橋の欄干にもたれて暗闇に蛍の飛ぶ様を眺めながら、

ふさわしからぬ質問を理科の先生にしたのだ。

「ムカデの生態はあまりよく分かっていないらしいですね」

蛍の世界にいた先生は一瞬、キョトンとしたが、「家の下にいるぶんには、

シロアリなどの害虫を食べてくれるからいいんですがねえ・・」

 

物知りだとY子が絶大な信頼を寄せている理科の先生は、

さらにたっぷりと講義してくれた。

「必ず、つがいでいるんですよ。

一匹がいたら、もう一匹がどこかにいます。

とぐろを巻いて卵を抱えているんですが、さすがにぞっとします」

ムカデの撃退法を聞き出そうとした私の考えは甘かった。

頭の中には妄想が渦巻いて、ことあるごとに殺虫剤をまいて回り、

夜、布団に入ってはこのものが頭をかすめて振り払うのに往生した。

 

  ***** ***** *****

 

ある種のいい加減さを持ち合わせていないと、

この方面での田舎暮らしはやっていられない。

飛んだり跳ねたりはったりする身近な生き物のたぐいと、

彼らだって生きているんだという「共存共栄の志」も必要である。

一緒に暮らしていけない者は、

町中でせいぜいゴキブリと付き合って暮らすしかない。

 

涼風が立つころには、彼らもおとなしくなる。

生命力にあふれている田舎暮らしは、ときに人を謙虚にもして、

自然の巡りに正直に生きているもののほうが、

自分よりうんと立派に見えたりもするわけで・・

   〜・〜・〜・〜・〜

写真の蚊帳、テントのように布団下からすっぽり覆うタイプ、一人用や二人用がある。これを使い始めたら、やっと安らかに眠れるようになった。ただし、ベッドには使えないかも・・半年はこの蚊帳を使って和室で寝る、後の半年はベッドで寝る、というふうに幾つも部屋のある広い田舎の家ならではの暮らし方。樟脳をムカデが嫌うかどうかは・・・多分、気休め・・2024年4月記

 

 

 

 

Iターン日記(17)

ヘビの数 <中>  2002 10/12  某紙掲載

不可抗力の侵入者たち

**村に来てから二年くらいは、トイレにガが入ってきたり、

お風呂場にクモがいると大騒ぎして泣きわめいていたY子だった。

あちこちで頻繁にY子があげる悲鳴に、

なにをしていても飛んでいかなければならない私は、いささかうんざりしたものだ。

 

いつの間にか変わった。

今ではお風呂からあがってくると、台所に立っている私に

「洗濯機の横に大きなクモがいるから、気をつけてね」と言うくらいだ。

カエルもヘビもクモもガも、みんな五感が受け入れたのだ。

 

  ***** ***** *****

 

問題は主人の方だ。

田に水が張られたころから、当然のごとく、カエルの大合唱。

家の前には十数枚、左横にも十枚近くの田んぼがある。

夜になると前と横から、その声の主がいっせいに押し寄せてくるのである。

 

ある夜、居間のガラス戸をたたく音がした。

主人が靴をかかえてそこから入ってきた。

「どうしたの?」

「この時季は玄関の明かりはつけておかないように言ってるでしょ」

「カエルが嫌で、ここから入ってきたの?」

「玄関の戸を開けたら、いっしょに入ってくるよ」

「カエルの一匹や二匹、どうってことないでしょ」

次の返事はほとんどマジだった。

こればっかりは私の無神経に我慢がならないといったふうだった。

「一匹や二匹じゃないんだ。

何十匹ってカエルが、ガラス戸一面に張り付いているんだ!」

 

ここへ来てからしばらくは道路の上の小さな緑のカエルをひくのを嫌がって、

夜は家の前の道をゆるゆる運転していた。

この殺生を今では観念したようだが、

相変わらず夜の玄関先では、それなりのリアクションが続いている。

 

  ***** ***** *****

 

コオロギもいけない。

コオロギの一匹ぐらい、家の中を跳ねていたって何ほどのことかと

ぶつぶつ言いながら、

せかされるままに私は追いかけっこして彼らを外に追い出す。

主人は「日中、全部開け放しておくから、入ってくるんだ」と言って、

不可抗力の侵入を誰かのせいにしないと気が済まない。

 

「いいお天気にどこもかしこも開け放して、

山や田んぼを見ながらのコーヒーが美味しいの。

音楽だってガンガン鳴らしたって、誰の迷惑にもならないんだから」

と、返す私。

あいも変わらぬ二人のやりとりに、

そのうちY子は知らんふりして自分の楽しみに没頭しているのだった。

 

Iターン日記 (16)

ヘビの数 <上> 2002 10/5  某紙掲載

お父さんが一番田舎モン

山あいの村では三月の中ごろから田おこしが始まる。

車を運転していてふと気がつくと、こちらの田んぼ、あちらの田んぼと

黒い土が掘り起こされている。

長い冬枯れの風景を見慣れていた目が一番に春の訪れを感じる時だ。

 

そのうち田んぼのあぜを歩きながら、

水の入り具合を見て回るおじさんたちの姿も見かけるようになる。

道の脇の水路から勢いよく流れる水の音に気がつけば、

一気に春はやってくる。

村の中を縦横無尽に水路が巡り、

ひと月余りをかけて田はなみなみと水を張る。

春風にさざなみを立ててきらきら光る。

 

日中少し汗ばむほどに気温が上がった日の夕食時、

Y子は唐突に主人に聞いたのだ。

「お父さん、今日何匹ヘビを見た?」

夕食の会話としては不適当な問いに主人は一瞬引いたが、

「今日は三匹だったかなあ」と答える。

「お母さんは?」と聞かれて、

「今日は一匹」と答えると、待ってましたとばかりにY子は言った。

「やったあ!お父さんが一番田舎モンだ。

私なんか今日は二匹しか見てないもんね」

 

今日遭遇したヘビの数でどうして田舎者の度合いが決まるのか、

Y子はまだ八歳だった。

 

  ***** ***** *****

 

春から秋にかけてヘビは至るところでお目にかかる。

道路でヘビに気づいてあわててハンドルを切ることはよくあるし、

田植えのころには泥だらけのカメも連れ立って横断しているのだから、

よく言えばのどか、言ってみれば無法地帯。

 

ある秋のこと、家の裏で草取りしていたら、

不意にただならぬ気配を感じた。

振り向いた時には、ついそこで

ヘビがこぶし大のカエルを巻き付けたところだった。

 

顔を背けて息を殺していた。

ときおり「ミューミュー」と声がする。

間隔を置いてヘビがカエルを締め上げているのだと想像したら、

耐えきれなくなって逃げ出した。

なんの因果でこんな恐ろしいものを見なければならないのか、

ひどく理不尽な気がした。

 

その夜、この捕物劇を披露したら、Y子の反応はそっけなかった。

「お母さん、ヘビだって生きていかなくちゃあいけないんだよ。

もうじき冬だって来るんだから。

私なんか、ヘビがカエルを飲み込むところだって見たんだから」

 

ごもっとも。

ヘビがカエルを締め上げたぐらいでガタガタ騒ぐんじゃない。

田の水の上をはうヘビを、今度はトンビがさらっていくのも

きっとY子は見たにちがいない。

 

Iターン日記 (15)

映画に出てくるみたいな学校 <下>    2002 9/28 某紙掲載

感じる「礼節」の空気

小学校では子どもたちは先生からファーストネームで呼ばれていた。

六年生になれば、みんな児童会の役付きになるが、児童会の選挙があった時、

Y子が持ち帰った選挙活動の表を見て、私は思わず笑ってしまった。

立候補した子どもたちの名前がみんなファーストネームで書かれていた。

投票用紙にはフルネームが書かれるのだろうか。

 

私はときに子どもたちの名字が思い出せない。

「ナニナニちゃん」で用を足しているから、

親同士で連絡を取る必要が出ても、電話帳を繰ることが出来ない。

 

幸い村の中では、いつどこの家で子どもが生まれるかはみんな承知しているから、

名前が重なることはないようだ。

同姓が多いから「ナニナニちゃん」で呼び合うほうが確かなのだ。

これはおばあちゃんになってもそのまま「ちゃん」付けで通る。

 

  ***** ***** *****

 

アットホームな雰囲気にあふれているとはいえ、

私はこの小さな小学校で「礼節」という二文字の空気を感じた気がする。

 

まだ二年生だったY子が唐突に言う。

「速きこと風のごとし、林のごとしは何だっけ?」

「エエー、誰に風林火山を教わったの?」

「教頭先生が習字の後黒板に書いて何度も何度も読んだの。

教頭先生って大好き。天気がいい時は散歩に連れていってくれるし、

楽しいお話をいっぱいしてくれるよ」

 

また、ある時は学校から帰るなり私をつかまえて言う。

「今日の晩ご飯はおかゆがいい!」

「病気でもないのにおかゆは変よ」

「だって、校長先生が食べているおかゆがすごくおいしそうなんだもの」

校長先生は胃の手術をされた後だった。

 

Y子があれこれと伝える学校の様子から、

子どもたちが先生と過ごす時間を想像した。

子どもの心が先生の体温をそのまま家に持ち帰ってくる。

教師に対して、ほかの人間関係とは異なった「礼節」の思いを

母親が抱くのはそう言ったところからである。

 

ところで、この**小学校は、

この春に村のもうひとつの小学校と統合された。

今は**小学校の跡地に統合の新校舎を建設中である。

時の波が古い木造校舎の空気を持ち去っていってしまった。

長い年月の手触りに子どもたちが触れることはもうない。

Iターン日記 (14)

映画に出てくるみたいな学校 <中>    2002 9/21 某紙掲載

きしむ階段 伝わる年月

木枠のガラス戸で開け閉めする**小学校の昇降口に、

子どもたちのげた箱は片側だけで、

四十数名分から自分の子どもの靴を探すのに手間はいらない。

校長室と職員室の前の廊下には、使い込まれた木の台が点々と置かれて、

植木鉢や折々の花が載っていた。

 

二階への階段はみしみしと音を立て、思わずそっと忍び足になる。

手すりも階段さえも木の角が取れて年月を伝えていた。

ここまで来るとそれまでの気分が何か別のものに変わって、

柔らかで、それでいて改まった空気が流れているように感じられるのだった。

 

七年前、Y子が一年生の秋から通い始めた時には、

まだ頭に大きなリボンをゆわえていた。

丸みを帯びた木の手触りに触れ、

この校舎で季節の光と風を感じながら少しずつお姉さんになっていった。

これはY子にとっても、母親の私にとっても

やすやすと手に入れることのできない、恵まれたことだったと思う。

 

   ***** ***** *****

 

Y子が四年生のころだったろうか、

校庭にイノシシの親子連れが何頭か現れたのだそうだ。

授業中に誰かが窓の外を眺めていたのだろう。

「K先生なんか、イノシシみたいにドドドドドッーって階段を駆け降りていったよ」。

「ほんとうに校庭をイノシシが横切ったの?」

主人とふたり何度念を押して尋ねても、

「だって、みんながイノシシだって言うんだもの。

Yちゃんだって、おじいちゃんがイノシシを捕るんだから、

見分けがつくでしょう」とY子は言った。

 

イノシシも現れる学校だったのだ。

その時は半信半疑だったが、今ならうなずく。

何しろそれから二年後に、私は家の庭でイノシシと見つめ合ったのだから。

 

  ***** ***** *****

 

「学校のプールにはカエルが五匹住んでいる」。

幼かったY子はもっともらしく教えてくれた。

夏休みのプール当番で半日過ごすと、

この学校の子どもたちは誰もがお兄さん、お姉さん、弟、妹なのだと感じる。

みんなプールに入ってもまだ十分にプールは余っていて、

上から下まで遊びたい放題に遊んでいる。

 

子どもたちの声を聞きながら、プールに足を浸して

降り注ぐ太陽の光を浴びていると、時間が止まったような夏を感じた。

子どもたちもいつの日か記憶の中からこんな夏を呼び起こすに違いない。